100周年記念誌「時代を超えて-Always Reaching Higher-」
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36当社の前身である電気計器研究所は、1915(大正4)年9月1日、東京府豊多摩郡渋谷町下渋谷700番地で産声をあげた。 工場は小さなバラック建て、所員は29歳の横よこがわ河一いちろう郎(後の初代社長)と26歳の青あおき木晋しん(同初代技師長)のほかに職工2人のわずか4人である。翌年春には横河電機製作所と改称したが、当初は輸入品の分析や製造法の研究が中心で、文字どおりゼロからの出発であった。同研究所に資金を提供した当社の創業者・横河民輔(1864~1945年)は兵庫県出身で、帝国大学工科大学造家学科(現東京大学工学部建築学科)を卒業後、日本で初めて鉄骨構造を導入した三井本館をはじめ、有楽座、帝国劇場、三越呉服店、東京株式取引所などの大建築を設計した明治・大正期の日本建築界の先覚者である。 図面は引かずに基本的な方針やヒントを示してあとは部下に任せるというスタイルを採り、欧米視察等で得た最新の知識と、東洋陶磁器の研究・収集などで培われた芸術的感性を背景に傑作を仕上げていった。そのかたわら、日本建築学会会長(1925~27年)も務めた。 さらに、鐘淵紡績社長の武藤山治氏といった当時の名経営者らから事業家の才も称賛されており、当社設立時にはすでに、横河工務所(現横河建築設計事務所)や横河橋梁製作所(現横河ブリッジ)等を経営、また近代的工場管理手法であるテーラーシステムを紹介する翻訳書も手掛けるなど、幅広い分野に見識をもっていた。 横河民輔は、建築と密接に関係し本格的に日本に普及しつつあった電気の分野に着目し、小資本で済み、先行企業のない電気計器が有望との助言を得る。同じ頃、逓信省電気試験所にいたおいの横河一郎をドイツ留学させる一方、同じく電気試験所に勤務していた青木晋が英国留学する直前に面談し、援助を約束した。こうして横河民輔の支援のもと、2人の若い技術者は欧米の計器工場を研究視察、設備の調達まで済ませて帰国し、電気計器研究所の発足に至ったのである。電気計器研究所と横河民輔創業から戦後の再建まで1915 ≫ 1947YOKOGAWA’s History —— Chapter 1渋谷社屋(1930年)横河 一郎青木 晋横河 民輔三井本館帝国劇場1927年に登録されたロゴ

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