“人間は努力する限り間違うものだ。”-ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
18世紀生まれのドイツを代表する文豪であるゲーテの言葉です。私たち人間は、仕事や勉強といった努力を一切しなければ間違うことはありませんが、生きていくのに勤勉は不可欠であり、前進する限り、誰しも間違いや失敗を起こす可能性があります。その問題を解決するために人間は創意工夫を凝らし、多くの道具や機械を生み出してきました。事故を減らすため、効率を上げるため、人間と物理的なシステムとのインラタクション(相互作用)に目を向け、両者のあり方を最適化しようという考え方で発展したのが「人間工学」です。

私たちは、いつ頃からヒトのことを考えてモノを作るようになったのでしょうか。
古代エジプトのツタンカーメン王が子どもの頃に使われたとされる椅子は、微妙に後ろに傾いた構造をしており、フットレスト(足置き台)も用意されていました。幼くしてファラオに即位したツタンカーメン王にとって大きすぎる椅子を座りやすくするためと考えられます。これは紀元前14世紀の話であり、そのような工夫が今から3千年以上前に存在していたことが窺えます。今でいう人間工学的なアプローチは、先人の知恵として古くから使われていました。

現在、私たちの生活で人間工学が活かされていないモノやコトはないといっても過言ではありません。日常使用する机や椅子、パソコンのキーボードやマウス、スマートフォンの画面に表示されるアイコン、らせん階段や視覚障害者誘導用の点字ブロック、さらには航空機の操縦室やさまざまな施設のコントロールセンターまで、多くの場面で人間工学は応用されており、それらのモノや環境を通じて得られるわかりやすさ、使いやすさ、心地よさなどのコトを生み出しています。

人間工学は、「システムにおける人間と他の要素とのインタラクションを理解するための科学的学問であり、人間の安寧とシステムの総合的性能との最適化を図るため、理論・原則・データ・設計方法を有効活用する独立した専門領域である」と定義(*1)されています。わかりやすく言い換えると、人間がモノや環境に合わせるのではなく、人間に合わせてモノや環境をデザインする、というアプローチです。

人間工学のルーツは、1857年にポーランドの科学者がギリシャ語に由来する“エルゴノミクス(Ergonomics)”を「働くことの科学」として造語したことに遡り、1997年に復刻された書籍で国際的に知られるようになりました。18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は19世紀には世界各国へ広まり、ヨーロッパ各地でも工業化社会へと転換が図られました。工場制の拡大は多くの賃金労働者を生み出し、人々の生活様式を変えて暮らしを豊かにした一方、労働者の酷使などの社会問題を引き起こし、労働環境は過酷になりました。このように労働形態が大きく変容する時代を背景に、「人間の労働と健康の関係」に着目した科学的な研究がヨーロッパを中心に行われました。人間には、重い荷物を運んだり、歩いて長い距離を移動する仕事もありますし、逆に動かないで同じ姿勢を続けたり、単調・繰り返しの仕事もあり、それぞれの職務によって疲れの要因となります。そこで、疲れずに快適な仕事を進めるための作業条件・方法・環境などを研究し、それに合わせた工具や設備を使うことで、人体への負荷を軽減して健康な生活へとつなげると同時に、生産性の向上や安全性の確保にも大きく貢献してきました。

こうした視点は、道具ばかりでなく、機械を操作したり、システムを制御したりする場合も同様です。人為的過誤やミスといった「ヒューマンエラー」に着目し、人間が機械操作やシステム制御をする際の信頼性や安全性を確保する“ヒューマンファクター(Human Factors)“という研究が20世紀初頭のアメリカで発展しました。象徴的な初期研究として高度計の改良が挙げられます。当時、パイロットの操縦ミスが原因といわれた事故が多発したため、心理学者や航空工学の専門家らによる調査チームが原因の究明をしたところ、高度計がデザイン優先の設計で、人間の読み取り能力を超えており、“パイロットは高度計の計器の読み間違いで操縦ミスを引き起こしている“ということがわかりました。そこで、人間の認知特性を考慮し、ユーザであるパイロットにとって読みやすい高度計のインターフェイスデザインを採用した結果、航空機事故が減少し、安全運航の実現に大きな役割を果たしました。技術の進歩とともに、システムは大規模化・複雑化し、航空機やプラントなどでの事故原因で最も多いのが人的要因です。ヒューマンファクターは人的要素とも訳されますが、航空宇宙や装置・設備産業、製造業、医療などといったミッションクリティカルな業界を中心に、人間の能力や特性を分析し、人間を要素のひとつと捉え、人間と人間、人間とハードウエア、人間とソフトウエア、人間と環境というように、人間を中心に考えてデザインやシステムを構築し、マネジメントするようになりました。

20世紀半ばよりオートメーション化が進み、現在は第4次産業革命とも称される大きな変革期を迎えています。IoTであらゆるモノやサービスがネットワークにつながり、さまざまなデータが蓄積され、ビッグデータが付加価値を生み出す源となっています。また、ロボットやAI(人工知能)、ポストスマートフォンといわれるスマートスピーカーの進化により、産業や社会のデジタル化・スマート化が一層進んでいます。さらには、働く人の高齢化・国際化、価値観の変化や多様化が加わり、それらの各要因が絡みながら共存し、私たちのライフスタイルやワークスタイルの幅広い場面でさまざまな変化を起こしています。今までにない新たな価値をもたらす一方で、私たちが目の当たりにする情報量は飛躍的に増え、加速度的に複雑さも増しており、これまで人間工学が果たしてきた役割の再評価と、未開拓の分野における人間工学の積極的な役割が強く期待されています。

YOKOGAWAのデザインは、産業ツールとして新しい価値、使いやすさ、美しさを追求するだけでなく、人間とシステムの間に存在するインタラクションをデザインし、お客様が目指す目標の実現をサポートしています。

そのひとつに、オペレータが制御システムを使って生産設備や計器を集中管理するコントロールルームのデザインがあります。製造業の操業現場では、定められた製品品質を安定的に確実に生産することが求められます。例えば日本の製造業においては、グローバルな競争が激しさを増す中で、高経年化した生産設備を改善しながら世界に誇る効率化を実現してきた結果、一人ひとりのオペレータは広範囲の設備を監視操作できるようになりました。しかし、想定外の事象が起こった際には、現場で働く作業者の生命にも関わる重大事故が発生する可能性があるため、オペレータ自らが設備を止めるなどの重要な意思決定をしなければならず、単なる操業経験だけでなく、高度な技術知識、危険を察知する感性が求められます。しかしながら、正しく重要な意思決定を行うための操業環境の整備は、コンピュータが並べられた単なる「部屋」として扱われることが多く、適切な明るさや快適さが提供されないためにヒューマンエラーの要因となるストレス源をオペレータに与えていることが見過ごされているケースがあります。

YOKOGAWAは40年以上にわたってさまざまな産業のコントロールルームのデザインを600件近く手がけており、人間中心のデザインアプローチに基づき、安全、快適、かつ機能的なオペレータ環境をデザインしています。オペレータはコントロールルーム内に配置される複数のワークステーションでさまざまな生産設備や計器を監視操作しますが、オペレータ同士のコミュニケーションがはかどるゾーニング計画や、モニタの大きさや位置、ワークステーションの適切な配置に加え、人体への負荷をできる限り抑える照明の選定や空調の位置を考慮し、効率的で安定した操業が行える環境提案を行っています。感性工学の視点にも立ち、人間がもつ色への印象やデスクなどへの触り心地といった感覚に至るまで、人・モノ・環境を考え抜き、快適性・機能性がより高い次元で相乗効果を生み出すコントロールルームのデザインに取り組んでいます。

また、コントロールルームで使われる操作監視画面やアラーム(操業の異常を知らせる仕組み)においても、人間工学や認知工学の理論を用い、直感的で使いやすい操作環境を提供しています。旧来の監視操作画面は、人間工学の観点から見ればいくつかの問題を抱えていました。例えば、アラームの表示と同じ色をポンプの停止など他用途にも使用しており、異常の見逃しを招く原因となっていました。また、温度などの膨大な測定データが整理されずにオペレータに渡されるために有効に活用できず、操業の状態を把握するのが困難な場合がありました。近年ではIoTへの取り組みが製造業でも本格化しており、オペレータが扱わなければならない情報が増加したため、さらにその責任範囲が広がっています。

このような課題に対し、YOKOGAWAはお客様にインタビューを行い、お客様の業務を分析することからアプローチします。この分析結果をもとに、操業状態に応じて提供する情報を切り替えられるようにすることで、オペレータを情報洪水から守ります。また、操業における重要度や緊急度に応じて情報の視認性(認識のしやすさ)・誘目性(注意を引き付ける度合い)をデザインし、オペレータが自然と適切な情報へアクセスするように工夫します。これらの結果、状況認識の質が向上、すなわち現在の状況をより素早く知覚し、より深く理解し、将来をより正確に推定することが可能になります。このほかにも、情報のビジュアライゼーション(グラフなどを用いて視覚的に情報を表現すること)、ナビゲーション(情報を表示しているページ間の移動)の最適化、アラーム音などのサウンド、タッチパネルやキーボードといったインターフェイスに至るまで、あらゆる要素に配慮し、お客様のそれぞれの業務に合わせた先進的なヒューマン・マシン・インターフェイスの設計・構築を行っています。

人間工学は、“エルゴノミクス”や“ヒューマンファクター”と呼ばれていますが、技術や産業構造の革新とともに、その知見は心理学・医学・科学・工学・デザイン学などといった多岐にわたる学問とも密接に関係し、発展しています。わかりやすくて使いやすい製品設計、人々が正しく効率的に動けるような人的・物的の環境整備など、安全、快適、かつ機能的な環境を生み出しており、ある種、人間工学を切り口とし、私たち人間の働き方や暮らし方を見つめ直すひとつの契機とも言えるでしょう。YOKOGAWAは、システムだけではなく、それを使う人がシステムと共創し、安全で信頼性の高い操業が実現し続けられるよう、快適性と機能性をうまくバランスさせ、より安全でストレスの少ないオペレータ環境をこれからも提供していきます。

*1 : 国際人間工学連合(IEA)による人間工学の定義

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