Well-being

共創がもたらす
ライフイノベーションの可能性

現在までに確認された約6,000種類の難病や希少疾患のうち、およそ80%が遺伝子由来であると言われています。例えば、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という疾患は、いくつかの症例において、遺伝因子の関与が認められています。この疾患は、伝説的なメジャーリーガーのルー・ゲーリッグが37歳の若さで命を奪われたことでも知られ、短い余命を宣告される難病の1つです。数十年もの間、このような希少疾患の患者が希望を持つことは困難でしたが、近年の科学技術の発達により、明るい兆しがようやく見えつつあります。

iPS細胞への期待が高まる

― 希少疾患の治療における歴史的発見――細胞を「初期化」するテクノロジー

ルー・ゲーリッグは37歳の若さで亡くなりました。ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を完成させたのも37歳。チャールズ・ディケンズが『デイヴィッド・コパフィールド』を出版したのも37歳でした。人間の平均体温も約37度。人間の体を構成する細胞の数も約37兆個であると言われています。

細胞は、接合子という、いわゆる受精卵から生まれます。接合子は、分裂によって増殖したあと、細胞を凝集することで胚を形成していきます。この初期胚を構成する胚性幹細胞は、ES細胞と呼ばれ、成長の過程において、皮膚、骨、血液、心臓といった特殊化した細胞に分化していきます。いったん分化したあとは、元の状態に戻ることも、別の目的で使用することもできません。心筋細胞と成熟神経細胞も、再生することはありません。

このES細胞に関する実験が、2006年、京都大学再生医科学研究所(当時)の教授、山中伸弥氏の研究チームによって試みられました。マウスから採取した皮膚細胞に、4種類の転写因子(100以上の可能性と飛躍的に増える順列から選別)を導入することで、ES細胞に非常によく似た細胞を生成することに成功しました。転写因子を与えた皮膚細胞は、胎児期環境への適応を促され、皮膚になる前のまっさらな状態に初期化されたのです。それから約1年後、山中教授のチームはヒトの皮膚由来の線維芽細胞を利用して、マウスと同じ結果を導き出しました。これは、水が低いところから高いところに流れることに例えられるほど、達成困難な偉業だったと言われています。

人工多能性幹細胞(iPS細胞)と名付けられたこの細胞は、受精卵生まれのES細胞と比べても、ほとんど見分けることができません。どちらの細胞も多能性であり、自己複製能を持つだけでなく、成長ホルモンやその他の作用因子による治療を通して、特殊化したあらゆる細胞種に分化することができるのです。またiPS細胞は、無限に増殖することができます。このため、再生医療や創薬の分野への応用に大きな期待が寄せられています。

「iPS細胞の研究は始まったばかりです。このテクノロジーは、細胞療法、薬剤スクリーニング、オーダーメイド医療などに利用できる素晴らしい可能性を秘めています」
山中伸弥教授
2012年12月7日ノーベル賞受賞記念講演

研究開発活動

iPS細胞の登場をきっかけに、再生医療に関する法律が日本でも整備されました。およそ20年にわたる研究と討議を繰り広げたのち、『再生医療等の安全性の確保等に関する法律(再生医療等安全性確保法:RM法)』が施行され、再生医療インフラの開発に歴史的な一歩を踏み出しました。しかし、iPS細胞が再生医療に大きく貢献するには、まだまだ多くの障壁を乗り越えなければなりません。RM法の施行は、その大きな影響範囲により、これまで進展していた別のプロジェクトを停滞させる結果にもなりました。例えば、加齢黄斑変性症(これまでは不可逆性だと考えられていた黄斑の変性による視力低下)の患者への細胞移植に関するプロジェクトは、RM法の施行によって1年近くの期間を費やしたと言われます。また、関連する多くのプロジェクトは、法外な治療費の問題に悩まされています。黄斑変性の移植には、およそ100万ドル(1億1,200万円)の治療費が発生すると言われており、関係者はそのコスト削減に取り組んでいます。

一方、新薬開発への応用に関しては、iPS細胞がもたらす可能性に大きな期待が集まっています。ヒト細胞に対する新薬候補の有効性、毒性、安全性を確認する治験――および、これまで不治、不可逆、難治とされていた疾患の治療に使用する新薬の開発――において、iPS細胞を適用することが認められています。新薬開発にiPS細胞を用いることは、医学における倫理的な問題を回避できるメリットがあります。例えば、ES細胞の樹立にヒト胚細胞を採取する問題、また臨床試験に動物を使用することの問題は、人工培養によるiPS細胞の使用によって回避できるでしょう。また、研究のプロセスを大幅に改善する可能性も秘めています。薬品の開発には10年近くにおよぶ歳月を要し、数十億円のコストがかかることもあります。これまでは、新薬候補は研究のほぼ最終段階にならないと、ヒト細胞で臨床試験を行っていませんでしたが、iPS細胞を使用することで、新薬開発のより早い段階で治験を行うことが可能になります。時間や資金を大規模に投じる前に、ヒト細胞に適合しない新薬候補を取り除くことを可能にするのです。

特定の疾患の治療に関しては、大きな進展が既にあります。比較的少ない人数が罹患する希少疾患の治療への取り組みのほか、中枢神経系に影響するガンや疾患など対応が遅れている分野への注力など、明らかな変化が見られます。発症や進行のメカニズムが解明されていない疾患分野では、新たな発見に基づく次世代の研究開発への動きが加速することで、数多くの最新テクノロジーがより積極的に採用されていくでしょう。

これからの時代の医療テクノロジー
― 優れた技術力とコラボレーションへの情熱を持つYOKOGAWAは、ライフイノベーションの時代のリーダーとしての地位を確立する

YOKOGAWAは、中核となる細胞画像化テクノロジーに加え、長年培ってきた計測・制御・情報テクノロジーを統合することで、細胞ベースの新薬スクリーニングテクノロジーを実現してきました。

YOKOGAWAのバイオテクノロジー分野への取り組みは、1980年代後半にまで遡ります。当時の会長である横河正三は、高度な専門技術を適用して「やわらかいものを測る」という研究テーマに取り組むべく、研究開発チームを指揮しました。日本国内では1961年に緑色蛍光タンパク質(GFP)が発見され――下村脩博士はこの発見により、2008年にノーベル化学賞を受賞――これに刺激を受けた開発者たちは、細胞の本格的な研究に乗り出しました。

研究を進めていく中で、大学や外部研究機関の研究者たちとの交流を深め、高解像度・高感度なライブセルイメージングに対する需要を見出しました。これを契機に、時空間的ライブセルイメージングを可能にする装置の研究開発が、その後約10年にわたって促進されます。

1996年、YOKOGAWAは、共焦点スキャナユニットの最初の製品であるCSU10を発売しました。CSU10は、ラスタースキャンを使用した共焦点画像の高速な取得だけでなく、弱いレーザーを数百~数千回照射する方式での撮影を可能にした革新的な製品でした。この特性により、対象となる生細胞の損傷が軽減され、観察領域を広げることができました。さらにYOKOGAWAは、以後20年以上にわたって検討・研究・協働を展開し、さらに進化したCSUを開発。現在、CSUシリーズはライブセルイメージングの事実上の業界標準として、世界中で約3,000台の販売実績を誇ります。

2000年代初頭になると、共焦点スキャナユニットCSUシリーズは、生物・医学の研究分野を中心に販売網を広げました。そこでYOKOGAWAは、ほかの分野にもCSU技術を適用できないかと考え、ハイコンテントアナリシス(HCA)市場に目を向けました。HCAは、1990年代後半に開発された技術であり、細胞の大きさ、形状、タンパク質発現などの情報に基づき細胞の状態を測定する方式です。つまり、CSUによる共焦点画像の取得能力と、これらの画像を分析する技術力を組み合わせたのが、HCAの技術となります。

「薬品開発の初期の段階でヒト細胞を利用すると、ヒト細胞に適合しない化合物を見つけることができます」
オリバー・ブリュストル教授
ボン大学医療センター神経学部部長

研究者たち

さまざまな取り組みを重ねた結果、2009年、HCA手法を採用したハイスループット細胞機能探索システム、CellVoyager CV6000の発売を開始。CSUで得られた画像と併せて利用することで、CV6000は、業界を牽引する高速性と解像度を実現しました。これにより、複数のサンプルを同時観察し、標的分子の増減、細胞の運動性や形態の変化を見ることが容易になりました。スクリーニングを必要とする薬品候補化合物の数は、数百万にものぼることから、新薬開発のプロセスの自動化・高速化を求める声はますます高まっています。YOKOGAWAの技術力は、手間やコストを削減し、その優れた解像度特性によって、薬品の安全に欠かせない高精度な検証を可能にします。処理の高速化が進んだことも、特定の疾患に苦しむ患者の早急な治療に貢献しています。

2010年、世界最高峰の医療研究機関の1つであるドイツ神経変性疾患センター(DZNE)が、創薬サポートシステム開発プロジェクトの主要装置としてCV6000を採用し、YOKOGAWAとDZNEは技術発展に共同で取り組みました。広い画像領域と高いスループットを求める声に応え、その後の数年間に、YOKOGAWAはCellVoyagerの改良モデルをいくつも開発しました。さらには、個別細胞と細胞集合の観測や分析、培養に適した環境を見つけるための細胞特性の測定とデータ編集、品質や細胞分化の範囲の確認など、さまざまな新機能も提供してきました。

YOKOGAWAの装置やシステムは、ユーザーとの密接な協力により開発・製造されています。ユーザーの目標を達成するには、設計の段階からユーザーの視点に立つことが必要だと考えています。この考え方は、品質・速度・利便性の向上を目指したYOKOGAWAのたゆまぬ努力を後押ししてきました。

さらに、画像では不可能だった個別細胞の正確な分析を行うため、YOKOGAWAでは1細胞質量分析法と1細胞遺伝子分析法の開発を推し進めています。2018年4月には、静岡県立大学と共同で、「シングルセローム共同開発研究コンソーシアム」を設立しました。神奈川県の湘南ヘルスイノベーションパークを拠点としたこのコンソーシアムは、1細胞質量分析法に関する共同研究により培った専門知識を生かし、個々の細胞内部の調査を可能にする高度なシステムの開発を目的としています。開発された装置が、新薬開発やライフサイエンス分野のさまざまな研究開発に活用されることを通じて装置の普及・発展を図ります。

これからもYOKOGAWAは、iPS細胞を創薬に応用するための取り組みを支援していきます。例えば、東京大学の「未来社会協創推進本部」登録プロジェクトの一環として、いくつもの民間機関が協働で行う特別プログラムに関する研究を行っています。このプログラムは、産学共同によって、ヒトiPS細胞に由来するさまざまな細胞を使用し、薬効および毒性を評価するシステムの構築を目指すものです。

ライフサイエンス分野への進出以来、30年以上にわたってYOKOGAWAが開発してきた高度なテクノロジーは、新薬開発および再生医療の分野において、数々の大きな貢献を果たしてきました。iPS細胞とES細胞の研究では、その価値を最大限に高め、潜在能力を引き出すために、新たな技術開発に取り組んでいます。新薬開発の成功には、知力とデータを共有するための世界規模の協力が必要です。YOKOGAWAに根付いた共創の精神は、最先端のパートナーとの協力・協働を可能にし、その相乗効果は、ライフサイエンスの未来を切り開いていくことでしょう。この分野で最先端の技術力を誇るYOKOGAWAは、業界の発展に大きく貢献しつつ、世界中の人々に健康で快適な生活基盤をこれからも提供していきます。